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SNS:スペクタクルな日常
SNS:スペクタクル
「SNSは、スペクタクル(見せもの)だ。」
私はそう定義づけることによって、自分の中にある
SNSへのモヤモヤをやっと言語化することができました。
「なぜ人は、他人に日常を見せるのか。」
私はこれを問い続けて生きていくでしょう。
新たなコミュニケーションというには、どこか表面的で軽薄です。
私は、人の内側までは染み込んでこないものだと感じています。
あくまでも、“見せもの”であり、現実そのものではないのです。
ですが、大きく言えることは、今まで述べてきたものは批評であり否定ではないということです。
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豊かさは、見せずとも
スペクタクルについて、今回は『見せもの』という
訳し方をしましたが、他にも「権力の自画像」 、「擬似的な自分自身」、
「己が何であるか」、「自らの豊かさ」という意味合いでも使われることがあります。
人間の元来備わっている『認められたい』という自意識が、現実を過剰に見せてしまうのです。
だが、私たちはこの世界の現実を生きています。
日常を過剰に作り込んでも、わたしはそれを愛することはできない。
SNSは経験として必要でしたが、わたしはわたしという個体で、
そのまま生きることを大切にしたいと思います。
©️Ueda Satsuki Spectacle daily life
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