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社会とスペクタクル

スペクタクル的商品や、バカンス(余暇)の集団的なシミュラークル、一時的な文化消費、

つまり、視覚的に目を引く商品、有名人などが訪れた場所に訪れてみたいと思う疑似行動、

タピオカやマリトッツォなど「メディアが作り出した流行」が現代社会を作る片棒を担いでいるのです。

現実の欠如感だけが目立ち、社会がスペクタクルを追い求めてしまう結果になっていると感じます。

ここでも新たな問題が発生しています。

スペクタクル的な欲望が産み出した人々が、消費され続け、

世俗化された共同体のなかで“何か”を失っていくのです。

私はその“何か”は、自己であると考えます。

もしかしたら、スペクタクルが自己を変えてしまうような未来もあるのではないでしょうか。

本来なら私たちが意欲的に行動し人生を歩むはずですが、いつの間にか

社会に提供された見せものの楽しさで人生を生きているのかもしれません。

​©️Ueda Satsuki   Spectacle daily life

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